桂川シクロ/努力について

久しぶりに書こう。こういうアウトプットは継続していかないと、準引きこもり生活のせいで、どんどん内圧が高まっていってしまう…。しまいには物申すオバサンになってしまう…。

 

 

昨日は関西シクロクロス@桂川に出ました。希望ヶ丘と違って、平坦でずっとマッドな感じのコース。私はバイクコントロールがめちゃ不得意なので、試走時からこれ大丈夫か…? という気持ちになってたけど、平坦な方がなんとなく頑張って踏めるし、応援の人との距離も近くて結果としては楽しかったな。難所で全然乗れてないのは反省。

 

これで今年のシクロ参戦はおしまい。もうそろそろ借り物のチャリで出走するのはやめたいなあ。シクロ買うかー。来シーズンこそはシクロ買って、それなりに練習して、もうちょっと順位を上げたい。もうちょっと結果に一喜したい。

 

話は少し変わるけど、私がシクロに出る動機として、シクロ自体の楽しさに加えて「トレーニングを継続したい」っていうのが大きい気がする。

私自身、運動に限らず短期間にガッと高負荷で頑張ることが苦手で、長期間低負荷の努力をコツコツしていくのが好きな典型的カメさんタイプなので、普段からトレーニングをしていくことに苦痛は感じない。ただ、目先の欲でしかモチベーションを感じられない浅はかな人間だから、「健康」だの「体力増強」だの抽象的かつゴールの見えない目標に向かって頑張るのは、相当しんどい。

そこで、シクロクロスにエントリーして、「体力つけとかないと本番しんどい、楽しめない」という(消極的ではあるが)具体的な目標を設定しておくことで、日頃のトレーニングも頑張れるって寸法よ。トレーニングモチベも上がるし、当日はすごい充実するし、金がかかること以外デメリットはない。なかなかいいメソッドだと思うのだけど。

 

まぁ、具体的なゴールを設定してなくても頑張れる人間には、絶対適わんよなあ。本当にそんな人間がいるのかは知らんが。割とマジで直近にゴールが迫ってる状況にないと、私は頑張れない。それまでも努力自体は出来るけど、それまでの努力はウォーミングアップに近いというか、いきなり努力するとしんどいから、最低限の努力は惰性で出来るようにしとけば、追い込み時の負荷も下がるだろう、みたいな、基本的に「いかに楽できるか」という発想でいろんなことを乗り越えようとしている節がある。時間をかけて、低負荷で。

これまではそれでだいたいのことは乗り切れてたし、それなりにいい結果も残せてた(気がする)のだが、身近に短時間高負荷タイプでの成功者が多いからか、私のこのやり方に疑問を抱くようになってしまった。

私がやってることは、努力ではないのではないか? 怠惰なだけではないのか? 本当はたいした実力も備えられていないのに、上辺だけ努力してますというような顔をして、ギリギリ今の間だけ真の努力家の世界に取りすがっているだけなのではないか?

これはなにもフィジカルの世界に限った話ではない。むしろ、学問の世界での方が如実だ。私はここに来て自分の努力の仕方がわからなくなってしまった。私は何も分かってない、私は形式だけなぞってさも「わかっている」かのように振舞っているだけの凡人未満にすぎない、そう思えてならない。正直言って、辛い。

 

なんなんだ、なんでこんな落ち込んだ日記になってしまったんだ。院試の順位が相当ショックだったのか。絶対評価で人間が決まるわけではないと、頭では理解したつもりでいるけど、結局絶対評価で人の優劣をつけちゃってるんだろうな、私は。そういう考え方が1番嫌いだって、何度も言ってるでしょうが!!!!!なぁ!!!!!!いい加減わかれって!!!!!!!!!!!!!

 

あーやめたい、人間やめたい。猫になりたい。猫になって、一生チュールのことだけ考えていたいよう。